上州御用 鳥めし本舗 登利平

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2014年09月30日

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藤岡店 ご利用のお客様へ

毎度ご利用頂き、誠にありがとうございます。

登利平 藤岡店では、店内のお食事のほか、宴会・法事・観光など大人数様でのご来店もあり、フリーのお客様のお席が場合によってお断りする場合がございますのでご了承ください。
前もってお電話にてご確認いただけますと当日お席の空き状況などお知らせいたします。

登利平 藤岡店
TEL:0274-22-5454
〒370-3523
藤岡市中大塚279-1

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2000年01月10日

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中村哲也 ~後進育成~

SAGA2024国スポに群馬県陸上チームの監督として、4×100mリレーで見事群馬県に優勝をもたらしたのが中村哲也 副社長です。中村副社長は1994年広島アジア大会において同種目で40年ぶりの金メダル獲得に大きく貢献し、1999年にはセビリア世界陸上にも出場を果たした経歴の持ち主です。東海大学を卒業後は五輪出場を目指し日立の関連会社実業団チームに入部したが1996年にアトランタ五輪出場が叶わず、2000年シドニー五輪出場を目指すため新たな環境を求め登利平に入社しました。


登利平が抱えるアスリートクラブには現在7名の陸上選手が在籍しています。当時は女子マラソンの選手が1名所属しており、そこに中村副社長が加入し少しずつ人数も増え現在のアスリートクラブという形に発展していきました。登利平は、1953年の創業以来鶏料理専門店としてレストランと弁当販売で群馬県民の食を支えており、特にお弁当は現在年間400万食の販売を誇ります。地域の会合や運動会、スポーツイベントに欠かせないソウルフードとして広く愛されています。そんな登利平と県内陸上選手の強化という2つの組織の後進育成について伺います。


中村副社長の指導は「競技力がすべてではない。努力する姿や、周りの人に理解され応援される姿勢が大切だ。」と説く。競技生活よりも長いのはその後の人生であり、社会での成功を見据えた指導を行っている。登利平アスリートクラブの選手も仕事を早く切り上げ練習時間を確保することが出来るのは、一般の社員の理解と支えの元で実現できている。「社内での理解は深まっているものの、本当に応援されるかは個人の人間性ですね。」そう中村副社長は語る。私が取材させていただいた登利平アスリートクラブの選手たちは皆、社内からの応援が力になると語っていた。中村副社長の指導が浸透している証だと感じました。「選手に対して技術的な指導は特別行っていないですよ。」と笑顔で語り「細かいこと言われると選手は嫌でしょうしね。」と見守る姿勢が印象的です。社内の業績においても現在業績は順調で大きなテコ入れは必要なく守っていくことが大事としながらも、「うまくいかない時期も、すべての責任はトップにあり皆さんは最善を尽くしてくれている」という姿勢だ。「細かい指示をするよりも、自分自身の仕事への取り組みを見て理解してもらうこと。」を重視している。まさに教科書のような上司像を体現している中村副社長で、この言葉が本心なのは人柄から十分伝わりますが、それ故にもっと掘り出したくなってしまいました…。


競技スポーツは時に一般社会の常識や社会性から外れてしまうことがある。特に競争が激しく個人で、世界に挑むような競技において、尖った部分を持ち合わせていないのは不思議だなと。そんな疑問に「昔は私も我がままで、とがった選手でしたよ。」「競技をやめて指導する立場になって変わりました。」この答えに今の中村副社長が作られた背景が見えました。選手の気持ちがわかるからこそ多くは語らない。しかし「求められればいつでも答える準備はあります。」と情熱も十分です。社内での関りと同じように「人を変えることは出来ないので自分の考えを伝えていくこと。」を大事にしている。自身の考えを伝えるためにコミュニケーションにも気を使います。仕事柄、一斉に社内研修を行うことが難しいため個々への声掛けを大事にしている。現場に出た際には販売担当の人とのコミュニケーションも図る。多くを語らない副社長からの生の声は働く皆さんにとってとても大事なコミュニケーションツールでしょう。気さくさと深い懐を持ち合わせる中村副社長ですが、この大きな組織を支える上でもちろん苦労も多い。どんな苦労も乗り越え躍進できる秘訣は家庭内にあり、時に息詰まったり悩んだ時、奥様のアドバイスが支えとなっている。「女性目線のアドバイスや自分にはない考えのふとした一言に救われることが多い。社内の立場上怒られることも少なくなり妻の存在はとても貴重です。」と語った。素敵な夫婦関係で、そんな家庭だから仕事への活力も出てくるのでしょう。


中村副社長の後進育成の主軸には「どんなことも経験。経験こそ血となり肉となる」という言葉があり、世界陸上の経験について「当時のレベルは世界には程遠かった。しかし独特の空気感は味わったものにしか得られない経験だ。」と語った。自身の社会人としての経験と群馬県陸上界での指導経験、そしてトップアスリートとして世界を見た経験から今の中村副社長の人格が作られ、今日、登利平のトップとして会社を引っ張っている。


登利平代表として立場での振る舞いが求められる場面が多く、「ポジションが人格を作っていくものだ。」と語る中村副社長ですが、SAGA国スポでの4×100mリレー優勝の喜びを「あれは嬉しかったですね。」と語る笑顔は陸上競技への愛情にあふれており、監督という立場ではなく心からの笑顔が見られた瞬間でした。立場としての振る舞いを後進に見せながらも、時に喜びや奥様への感謝など人間味を覗かせる瞬間が中村副社長の一番の魅力だと感じます。中村副社長の後進育成の秘訣…自分の背中を見せること。その背中に登利平と群馬県陸上界の未来を背負いながらも、自然体で飾らない中村副社長の人柄が、のびのびと若い力を育成する。それが中村流後進育成の秘訣。

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2000年01月3日

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田中きよの ~Next Stage~

“田中きよの”大学時代U20全国陸上競技大会・日本学生選手権で優勝を経験し女子100Mハードル界トップレベルの実力者です。日本選手権優勝そして、その先の世界を目指す田中選手のNext Stageへの挑戦を追いかけます。女子100Mハードルは100Mの中に設置された84㎝の10個のハードルをとび超えていく競技です。見どころは何といっても障害物を華麗に超えていく姿にあり、スピードだけでなく柔軟性や身体のコントロール、筋力や瞬発力など様々な力を必要とします。そのすべてが重なり華麗にハードルを飛び越えることが出来たとき選手の達成感は最高潮に達し、その躍動感は見る人を魅了します。中学時代スプリント練習の中の一つとして取り入れられていたハードル、当時の顧問が彼女のセンスにいち早く気づき勧められたことからハードル人生が始まりました。「障害があり何が起きるかわからない」ハードルの魅力についてそう話す田中選手。他の競技に比べ転倒の可能性が高くあるため、そのリスクが競技にドラマ性をもたらし緊張感を生み出します。田中選手の言葉通り最後まで何が起きるかわからないドラマ性も人々を魅了するポイントの一つです。


大学時代にタイトルを獲得し、現在まで順調にベストタイムも更新している。順風満帆に見える競技生活。しかし、実際はコロナ渦による様々な弊害や、当時最も大きな目標としていたユニバーシアード大会を前に体調を崩し、半年近くレースどころか走ることも難しい日々が続く時期も経験している。学生最後のインカレ2連覇に向けて焦りが募る時期も過ごした。そこから復活を果たした要因は“メンタルの強さ”。「メンタルコントロールが得意なタイプで、今自分に必要なことは何か?冷静に判断しそこに向かって取り組むことができた。試合でも過度な緊張をすることはない。」と自分自身を評価する。精神面に加え田中選手の武器はスプリント力「シンプルな足の速さが最大の武器です」と自信を持つ。日本記録へは0.51秒、近いようで遠いその差を縮めるために、抜き足を課題としている。ハードルを跳んだ後の走りに課題を感じているが、改善できた時のタイムは期待できる。スプリントに比べて障害物がある分タイムを縮められる内容が多い。「抜き足の速さとストライドに頼らないインターバルの速さを磨きたい」田中選手の頭の中には自分の理想の走りがはっきりと描かれている。


先月行われた実業団対抗陸上選手権ではB決勝4位13“58秒だった。


Qこの大会の位置付けと結果を踏まえた感想は?


「前回出場した大会から期間が空いてしまったので、想定通りの結果だが目標には届かなかった。当日にミスはなかったので大会までにいい取り組みが出来なかった結果だ。」と振り返る。良い点も良くない点も冷静に客観視、分析できる田中選手の長所がここにもあった。 この大会で今シーズンは終了となり来シーズンの大会に向けオフシーズンのトレーニングに入る。「この冬はウエイトトレーニングにも力を注ぎ無理をしてでも自分を超えていく。」そう語った。自己分析の上でこの冬は無理ができる。そう判断する今、心身ともに状態が良いのだろう。


苦手なことから逃げないそう強く誓う理由はNext Stageへの挑戦。日本一そして世界を目指し「競技人生にタイムリミットを付けて打ち込みたい。2028ロサンゼルスオリンピックを見据えて今後を見直す時期だ。」と展望を聞かせてくれた。「来シーズンから日本のトップを狙います。ベストタイムである13.20秒を安定して出せるように。」と目標も明確である。田中選手の言葉の一つ一つに強い意志を感じ、自らの言葉を実行してきた自身が垣間見えた。この日、群馬のホームグラウンドに久々に戻り改めて地元の人の温かさに触れることができた。陸上を通して出会った人へ結果で恩返しがしたい。その為に日本のトップそしてその先、大学時代逃した日の丸を追いかけ走る。「すべての結果は決まっていて自分はそれを見に行くだけだ。」走り続ける田中選手がその結果を見るその時、今頭に思い描く理想の走りが実現されているだろう。田中選手が背中に日の丸を背負い、胸には群馬への感謝を持ち高い障害物を華麗に超えていくそんな田中選手を私は見たい。 彼女のNext Stage…への挑戦から目が離せない。

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2000年01月2日

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根岸佑弥 ~跳び続ける理由~

満開の桜と青空のコントラストが贅沢な王山グラウンドに先月39歳を迎えたアスリート根岸選手の姿があった。


小学校 5 年生の頃授業で褒められたことがきっかけで走り高跳びを始めた。前橋育英から上武大学に進学し地元登利平に入社した。地元で走り高跳び一筋、今日まで競技を続けている。


本格的競技に始めたのは高校生から、インターハイにも出場し社会人になってからは、全日本実業団で5位に入賞するなど全国レベルの実力者だ。大学時代のコーチの紹介で登利平に入社し競技を続けていく中、30歳で競技人生もピークを越えたと思い一度はマスターズに転向し転職もした。
しかしそこで30代の日本記録を更新…自己ベスト記録に近い2m5cmを跳ぶことが出来た。


やはり一般の競技の場に復帰したいそんな思いは止められなかった。


現在は登利平に再就職し一般の社員の方と同じ様に仕事をこなし、休みの日に練習を行っている。業務内容はキッチンで調理を行っており群馬県民の食を支える仕事にやりがいを感じている。今も週2~3 回の練習を行っており普段は業務後に1時間のウエイトトレーニング、休みの日には3~4時間もの時間を走り高跳びに費やす。


40歳を目の前にそのモチベーションに脱帽する。
根岸選手本人は今の環境に戻れたことに感謝の気持ちが強く、登利平に貢献したいと将来を見据えている。走り高跳びという競技は一般的に20代後半に体力のピークと技術の成熟によりパフォーマンスが最高潮になるそうだ。
今も競技を続ける根岸選手のモチベーション…
それは「ただ走り高跳びを楽しみたい。楽しむためにはトレーニングが必要。」と語った。


そんな思いに反し2年前に大腿二頭筋腱断裂という大けがを負った。
ケガ以降、昔のような跳躍をするためのスピードが伴わなくなってしまった。それでもグラウンドには跳躍する根岸選手の姿がある。用具の準備から砂場の整備まで、一人で行い黙々とジャンプする。
そんな姿に「走り高跳びを楽しみたい。」その思いの強さを感じた。
現在はケガをしないことに一番注意しながら、その日のコンディションに合わせて練習メニューを組み立てるという。


この日は立ち5段跳びという昔からのこだわりのトレーニングを行っていた。自身の強みであるパワージャンプを鍛えるものだ。言葉通り力強いジャンプの繰り返し、まるで足の裏にバネがついているように見える。しかしジャンプを終えると息を切らししゃがみ込む姿から、その一回のジャンプにかかるエネルギーは見えている華麗さは比べものにならないのだと伺い知った。


「正直引退も考えています」としながらも「走り高跳びはフィギュアスケートや体操と似ていると思っていて、一人の演技(ジャンプ)をみんなが見ている。競うものではなく自分 のジャンプをしたい。」と目標を語ってくれた。
将来は指導に携わりたいと考えており日本スポーツ協会認定のコーチ資格も取得している。選手に実際にジャンプを魅せられるコーチでい続けることも目標の一つだという。
登利平ACで活躍した選手達が自身の経験を活かし幅広く普及や強化に携わることで登利平ACの知名度も広がっていくだろう。そうした次へのステージを見据え、選手として有終の美を飾る準備を日々行っている。


「自身最高のジャンプをもう一度跳びたい。あのフワッと浮く感覚がたまらなく気持ちいいんですよ。ある意味中毒ですね。」と最後に笑顔で語る根岸選手。
アスリートが競技にハマるその中毒性には共感する。それが年齢にもケガにも止められない跳び続ける理由なのだろう。根岸選手自身満足のいくジャンプは今年見られるかもしれないし、5年後かもしれない。次のステージに向けた大ジャンプを期待している。

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2000年01月2日

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鈴木 宏明 ~自分史上最速~

自分史上最速を目指す鈴木選手。


ケガから復帰のシーズンとシーズンオフのトレーニング期間を越え、「ようやく思いっきり走れる」と今シーズンの自分への期待を背負い入念にドリル練習に打ち込む。


昨年の秋に鈴木選手を初めて取材した際、今シーズンに向けてオフシーズンの取り組み方や課題を伺った。そしてシーズンは幕を開けた。目標とする日本選手権出場に向け大事な大会と位置付ける東日本実業団陸上競技選手権大会を10日後に控えたこの日、鈴木選手に大会への意気込みと今シーズンの抱負について伺った。前回の取材時よりも目に熱い思いと緊張を感じた。今シーズンは4月に記録会に2度参戦し東日本実業団に向け調整を試みた。あいにく両日ともに天候に恵まれず好記録は出なかったという。それでも「一人での練習が多い中、レースに出て他の選手とレースをすることで緊張感や課題である力みと向き合うことが出来た。」と昨シーズンはケガの影響で思うようなシーズンにできなかったので、今シーズン思いっきり走れる喜びが滲む。


冬には課題とする後半部分の減速を克服するために、インターバルトレーニングに取り組んだ。インターバルトレーニングは肉体的にも精神的にもきついが、つらい場面で自分に打ち勝つ強さが養われる。また筋力トレーニングも重点を置いた。鈴木選手の得意とするスタートからの加速を発揮するには瞬発力とそれを支える筋力が必要となる。「今年はケガがない分スタートの加速から中盤に思いっきり入れる。走りこんだ成果が楽しみ。」とオフ期間の成果にも満足な様子だ。一瞬にすべてを懸け一瞬に爆発的な力を出す100M競技だからこそ、そこに100%の自分で挑むことの重要性とその苦労が垣間見える。 今シーズンの抱負は、自己ベスト10秒41の更新。昨年の記録10秒51は最低目標だと言うが本当の目標はさらに高く、日本選手権出場のために派遣記録10秒34を狙っている。この日本選手権に出場するには6月11日までに派遣記録を切る必要があり東日本実業団と記録会でこの記録の更新が必要である。100M競技はメンタルがタイムに大きく影響する。その中で「プレッシャーや緊張感の中で同じようなレベルの選手が集まる大会だからこそ記録が出やすい」と自分自身への期待も高まっている。


グラウンドで選手を見つめる武藤監督は「今シーズンは試合が少ないため試合勘に不安を残している。」


記録に関しても「簡単な記録ではない。スタートは得意なので出すぎると後半身体が浮いてしまう、レース全体の組み立てが大事だ。」と厳しい目で見つめるが「4月から調子は上がってきている。今シーズン出場したリレーではいい走りが出来ていた。」と期待も寄せ東日本実業団は現地でその走りを見守る。


トレーニングを支える大事な栄養面については、基本的に自炊をしながらサプリメント やプロテインも摂取するが、まかないの鶏肉料理が鈴木選手の栄養面のサポートになっていることは言うまでもない。登利平が数多くのアスリートを抱え支える秘訣はまかないにあるのかもしれない。陸上選手としても登利平の社員としてもキャリアが長くなってきた鈴木選手へ自分自身の最終目標を伺った。「まずはタイムを落とさず最後まで走り抜けたい」とブレない向上心に続けて「陸上をやってきたことが自分にとっての財産でありそこで得た力を登利平に恩返ししていきたい」と語った。登利平ACの選手誰もが口をそろえて話す会社への感謝の言葉、この環境こそまかないに勝るアスリート支援の秘訣なのだろう。 前回伺った時もスパイクの進化に期待する鈴木選手のギャップに驚かされたので今回も尋ねた。「シーズンに入り新しいスパイクになれる作業も大変ですね、履きこなすことも難しいけれど反発が大きい分記録は狙えます。」と解説してくれた。いよいよ迫った東日本実業団陸上競技大会。スパイクを履きこなしコンディションにも恵まれ、この冬の成果を存分に発揮し駆け抜けた先…電光掲示板には自分史上最速のタイムが表示されることだろう。鈴木選手の健闘を祈る。

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2000年01月2日

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鈴木 宏明 ~継続力の源~

100M走は陸上競技の花形競技である。“たった10秒の勝負”に懸け走り続ける鈴木選手。

継続することが自身の強みだと語るその“継続力の源”に迫ります。陸上競技100M走はスピードと瞬発力が求められる競技です。スタートからゴールまでいかに速く走りぬくかという、陸上競技の中で最もシンプルであり「世界で1番早く走る人間」を決める象徴的な競技として注目を集め、オリンピックはこの100M走から始まったといわれています。鈴木選手のベスト記録は10秒41(大学3年生時)「中学3年生頃からの記録が出始めそれが楽しくて陸上にはまっていった。」30歳になった今日も「夏の練習の成果が秋に出るのが楽しみです。」ときれいな秋晴れの中笑顔で走り続ける姿は自分自身の可能性に心を躍らせた少年のようです。


Q|100M走をする楽しさと見る楽しさのポイントはどこですか?


「わかりやすくシンプルなところ、見るのもやる方もわかりやすいところです。」
100M走は競技場に足を運ばなくとも、多くの人がテレビを通して見たことがあるでしょう。100M走の魅力の一つであるスタート。独特の緊張感、大観衆が入ったスタジアムがスタートの瞬間は静まり返る、その中スタートラインに立つプレッシャーは計り知れない。寂静からの爆発的な疾走パフォーマンスに観客は目が離せず虜になる。鈴木選手の強みはスタートにあり、反射神経とスタートの姿勢が自身のストロングポイントだと語る。


Q|100M走におけるもっとも重要な要素は何ですか?


「スタート時はメンタルの部分が大きいです。スタートのやり直しや自分以外の要因に惑わされないように注意しています。」また「シンプルが故に難しい」と1つのミスがレース全体に影響する100m走の一瞬一瞬に懸けるこだわりを覗かせた。高校時代の恩師である安達監督(前橋育英)も鈴木選手のスタートについて「手をあれだけ広げた姿勢からのスタートを進められるところが彼の一番のポイント、瞬発力と身体のバネが素晴らしい」と評価する。高校時代の話を聞くと「とにかく純粋で素直で心がきれい」とお褒めの言葉があふれる「一方で言葉が足りないところがあるんだけどね」とネガティブな部分についても優しい表情で語る安達監督からは鈴木選手への愛情があふれていた。こんな風に温かく選手と接する監督と出会い、指導を受けた時間はかけがえのない時間であったと想像します。鈴木選手が陸上で最も興奮した瞬間を味わったのも高校時代であり、安達監督と陸上に打ち込んだ青春時代が目に浮かぶ。そして
もう一人鈴木選手の競技人生に大きく影響を与えた人物が現在の所属先である株式会社登利平の中村副社長である。高校時代に選抜され出場した国民体育大会(現国民スポーツ大会)で短距離種目のコーチを務めていたのが中村副社長であり、現在も練習メニューやフォームの確認にアドバイスを仰いでいる。自分の記録・タイムと向き合う日々は順風満帆なだけではない。


Q|競技をしていてつらい時期や辞めようと思ったことはありますか?


「何度かそういう時期はありましたが、結果が出るので辞めずにここまで来ました。」自身の記録が一番の原動力となっている。継続することが自身の強みだと語るその継続の源は陸上の楽しさを知った中学生から今までずっと自分自身の記録であった。

30歳という年齢は短距離界でまだまだやれると自信を覗かせ、21歳で出した自己ベストに迫る10.51を今期マークしている。「入社して以来自己ベストが出ていないので更新したい。そして日本選手権派遣標準記録10.34を目指したい。」と自分を超えるモチベーションも高い。安達監督は「後半の失速の部分に課題がある。もう一度後半の動きを見直すトレーニングをすることで伸びしろは十分にある」と熱く語る。鈴木選手は記録更新への手応えを聞くと「機材や道具シューズも進化しているのでチャンスを生かしたい。」と安達監督と対照的におどけた笑顔を見せた。そんな答えが鈴木選手らしい魅力の一つだと感じます。
鈴木選手は長い競技歴から「走ることの楽しさや日々の練習の積み重ねが無駄ではないこと」を走ることを通して表現する。競技キャリアも終盤にさしかかり1つ1つの走りが重要になってくる。キャリアの終わりを迎える日まで中学生時代感じた陸上競技の楽しさを十分に感じ自分自身の記録をモチベーションに走りぬけて欲しい。10年越しに追い求めた自己ベストが出た瞬間また鈴木選手は更なる記録を目指し走り続けるだろう。それが鈴木選手の“継続力の源“

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2000年01月1日

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小淵 瑞樹 Evolution 〜緊張と緩和〜

2025年5月23日〜25日埼玉県にて東日本実業団陸上競技大会が行われた。


東日本実業団は日本選手権への出場派遣標準記録を目指す舞台でもあり数多くの実力者が出場する大会である。


この大会の400m競技で見事優勝を果たしたのが小淵瑞樹だ。
「タイトルを獲得できたことは大きな収穫」と喜びをみせた。


一方で優勝タイム“46秒24”この記録については日本選手権では45秒台の選手が多くなるとレベルの高さを鑑み、自身も「日本選手権ではアベレージで45秒台を出したい」と意気込みを語る。


日本選手権は国内最高レベルの大会で今年は、9月東京で行われる世界陸上の代表選手を兼ねる非常に大事な大会だ。昨年パリオリピック選考レースとして行われた日本選手権での決勝の舞台に上るも惜しくもパリオリンピック日本代表入りを逃した小淵選手にとって特別な場所であり、一年間の成長を見せるにはこれとない舞台だ。


取材当日の前橋・玉山グラウンドは梅雨とは思えない暑い日だった。そんな太陽の光が痛いほどの差しの中も、大淵は表情前半部分のまわりに余裕がない。小淵選手は一走りずつ武藤コーチからのアドバイスと自身の感覚をすり合わせる作業を行う。武藤コーチからは物腰の柔らかい中にも具体的なアドバイスが入る。「バックの追い風をリラックスしてスピードをころさず走れるかだ。とにかくまず騒がず走るということ」言葉があった。小淵選手は後半部分の走りを得意としており、その長所を安定させ引き出すことを課題としている。


また今シーズン上向きの調子のオフシーズンに長い距離の練習とスピード練習をバランスよく行ったこと、そして今シーズン初めての大会で自信とが好転し力をなくし、精神的にゆとりをもって走れるようになったことを理由に挙げた。レースの中も「前半部分にリードされてもあがくのをやめた。」その日の気分と調子に操られていた部分が抜けた点が大きな成長だ。新しく何か取り組んだり大きな変化を作ったのではなく、積み重ねてきた経験が小淵選手が繕っていた力という皮を一つ剥いでくれた。

下の世代の成長も「焦りとしてではなく刺激として受け止め俯瞰して見られるようになった」と言う。元々気持ちが入りすぎて失敗することが多かった。「余裕を持った集中がフィットしている。」そんな精神面での充実を覚える武藤コーチの存在は大きい。400m競技という過酷な種目に孤独に立ち向かう中、陸上はもちろ人生の大先輩でもある武藤コーチはトレーニングのインターバル中も常に小淵選手とコミュニケーションをとり、時には小淵選手を笑わせる。あぁと思えば走りの話になると二人の表情にはスイッチが入る。絶妙な緊張と緩和の雰囲気をかもし出すコンビである。


パリオリンピック選考を終えた時小淵選手にとってオリンピックは?という問いに「夢の舞台であるが、まだ自分にはふさわしくない。」と語っていた昨年9月。


今回の日本選手権に向けた意気込みを語る小淵選手の目にはその時とくらべものにならない自信が輝いていた。「昨年よりも近づいている自信がある。」代表に二・三歩足りなかったところから、冬場に取り組んだ基礎が積み重なって今、土台となりブレが減った。」経験から一皮むけたメンタルと地道に練習で培った基礎が小淵選手を一つ大きくさせた。「アスリートとして今一番陸上を楽しめているし勝負も楽しい。心の底から優勝する気でいます。」と語る姿を見たら筆者までわくわくし、応援せずにはいられない。


昨年の9月新しい目標に掲げた世界陸上を掴むための大きな舞台「日本陸上競技大会」は2025年7月4日から国立競技場にて行われる。


2025年7月6日決勝の日レースでは最後の直線で小淵選手の走りが国立競技場の陸上ファンを沸かせることがだろう。進化した精神の緊張と緩和のバランスに加え増えた基礎の上で、最大の武器である後半の伸びのある走りを国立で…

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2000年01月1日

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小淵 瑞樹 ターニングポイント

先月開催されたオリンピック予選を兼ねた日本選手権決勝に進出するが惜しくもオリンピック出場を逃した小渕選手。パリオリンピック開幕のその日、連日の猛暑の中トラックに小渕選手の姿はあった。


陸上400Mはトラック競技の短距離種目の一つでスピードと持久力のバランスが重要な競技です。一瞬の判断や戦略が大きく結果に影響する見ごたえのある競技で、最後の直線での逆転劇や耐久力の勝負が見どころで戦略と技術が融合した非常にエキサイティングな種目で多くのファンを魅了します。そんな400M競技を行う小渕選手の勝負のターニングポイントに迫ります。


トラック競技の中でも最も過酷といわれる400M で小渕選手が思う競技の魅力とは。


「スプリント力がトップクラスではない自分は戦術や丁寧な走りに加え後半にスピードを上げることができる。という得意な部分で勝負する世界が合っている。」


この日の練習でも動作の確認やドリルメニューを入念に行う様子が見られ小渕選手のストロングポイントを作り出す秘訣が垣間見えた。


スプリント力ではなくレースの構成や走りの技術を自身の強みとしている。
レース中の勝負のポイントとしては「バックストレートで前半のスピードを維持し後半のきつい部分へ繋げていくことレースの中で最も意識するポイントです」 やはり後半部分が自身のストロングポイントとしている。
高校生から陸上競技をはじめ競技人生では大歓声が自分に向けられる栄光の瞬間を味わったこともある。しかしその瞬間の裏にはたくさんの苦悩や挫折がある。そんなキャリアの中で彼を支え続けたものは彼の周りの“人”。「高校から大学への進学時・大学から卒業後の進路と分岐点の決断時に競技を続けることを後押ししてくれた周りのサポートがあったおかげで今の自分がいます。」そう語る彼の笑顔は人を引き付ける魅力に溢れています。
人に支えられ応援される能力はアスリートにとって最も大切な力の一つでしょう。
「現在職場である登利平では経理業務にあたっているが、練習や大会への参加への理解も深いそれに加え同僚からの応援を身近に感じることができるのは選手として何よりありがたい環境です。」充実した練習環境、支えてくれる人に恵まれた小渕選手の次なるステージとして期待したいのはやはりオリンピックではないでしょうか。


Qパリオリンピック予選で決勝まで残りオリンピックに手が届きそうだった。


その経験を経て改めてオリンピックとは?


「夢の舞台であることに変わりはない。でもまだ自分の実力はオリンピックという舞台にふさわしくない。選手として足りなかった結果だ」そう語る。
陸上の専門家ではない筆者は“決勝に立つこと”とは手が届くところにその夢の舞台があったように感じます。しかし小渕選手の捉え方は違っていました。400M競技における1秒の差について尋ねた際「1秒は相手の背中がはっきりと見えるくらいの距離です」その回答にはオリンピック選手との距離を自身が目視でとらえた距離…それがまだ遠いのだということです。
武藤コーチは小渕選手について「こんなコンディションでこんな風に走れるのか。と驚かされる。まだまだ底地は未知数だ」と期待を寄せ「冬のトレーニングで自己分析と力の出し方を研究します」と可能性を見出している。日本記録44秒を目指す為に「前半の入り部分にこだわっていきたい、自分の中に正解は見えている。あとはそこへ向かう過程を模索している」と話す。過程を模索する中で彼がどのような進化を遂げて魅せてくれるのか。色々な過程を試し悩み、その正解にたどり着いた日、競技場電光掲示板の小渕の名前の横には44秒の表示があるのではないでしょうか。武藤コーチと二人三脚で来年2025年東京にて行われる世界陸上では日本代表の座を狙う。国立競技場で勝負のターニングポイントを制した走りを見せてくれることを期待しています。国立競技場に小渕スマイルが咲きますように…。

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