2000年01月02日

お知らせ

根岸佑弥 ~跳び続ける理由~

満開の桜と青空のコントラストが贅沢な王山グラウンドに先月39歳を迎えたアスリート根岸選手の姿があった。


小学校 5 年生の頃授業で褒められたことがきっかけで走り高跳びを始めた。前橋育英から上武大学に進学し地元登利平に入社した。地元で走り高跳び一筋、今日まで競技を続けている。


本格的競技に始めたのは高校生から、インターハイにも出場し社会人になってからは、全日本実業団で5位に入賞するなど全国レベルの実力者だ。大学時代のコーチの紹介で登利平に入社し競技を続けていく中、30歳で競技人生もピークを越えたと思い一度はマスターズに転向し転職もした。
しかしそこで30代の日本記録を更新…自己ベスト記録に近い2m5cmを跳ぶことが出来た。


やはり一般の競技の場に復帰したいそんな思いは止められなかった。


現在は登利平に再就職し一般の社員の方と同じ様に仕事をこなし、休みの日に練習を行っている。業務内容はキッチンで調理を行っており群馬県民の食を支える仕事にやりがいを感じている。今も週2~3 回の練習を行っており普段は業務後に1時間のウエイトトレーニング、休みの日には3~4時間もの時間を走り高跳びに費やす。


40歳を目の前にそのモチベーションに脱帽する。
根岸選手本人は今の環境に戻れたことに感謝の気持ちが強く、登利平に貢献したいと将来を見据えている。走り高跳びという競技は一般的に20代後半に体力のピークと技術の成熟によりパフォーマンスが最高潮になるそうだ。
今も競技を続ける根岸選手のモチベーション…
それは「ただ走り高跳びを楽しみたい。楽しむためにはトレーニングが必要。」と語った。


そんな思いに反し2年前に大腿二頭筋腱断裂という大けがを負った。
ケガ以降、昔のような跳躍をするためのスピードが伴わなくなってしまった。それでもグラウンドには跳躍する根岸選手の姿がある。用具の準備から砂場の整備まで、一人で行い黙々とジャンプする。
そんな姿に「走り高跳びを楽しみたい。」その思いの強さを感じた。
現在はケガをしないことに一番注意しながら、その日のコンディションに合わせて練習メニューを組み立てるという。


この日は立ち5段跳びという昔からのこだわりのトレーニングを行っていた。自身の強みであるパワージャンプを鍛えるものだ。言葉通り力強いジャンプの繰り返し、まるで足の裏にバネがついているように見える。しかしジャンプを終えると息を切らししゃがみ込む姿から、その一回のジャンプにかかるエネルギーは見えている華麗さは比べものにならないのだと伺い知った。


「正直引退も考えています」としながらも「走り高跳びはフィギュアスケートや体操と似ていると思っていて、一人の演技(ジャンプ)をみんなが見ている。競うものではなく自分 のジャンプをしたい。」と目標を語ってくれた。
将来は指導に携わりたいと考えており日本スポーツ協会認定のコーチ資格も取得している。選手に実際にジャンプを魅せられるコーチでい続けることも目標の一つだという。
登利平ACで活躍した選手達が自身の経験を活かし幅広く普及や強化に携わることで登利平ACの知名度も広がっていくだろう。そうした次へのステージを見据え、選手として有終の美を飾る準備を日々行っている。


「自身最高のジャンプをもう一度跳びたい。あのフワッと浮く感覚がたまらなく気持ちいいんですよ。ある意味中毒ですね。」と最後に笑顔で語る根岸選手。
アスリートが競技にハマるその中毒性には共感する。それが年齢にもケガにも止められない跳び続ける理由なのだろう。根岸選手自身満足のいくジャンプは今年見られるかもしれないし、5年後かもしれない。次のステージに向けた大ジャンプを期待している。