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2020年01月09日
お知らせ
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阪西俊輔 ~縁~
登利平AC のトレーナーとして選手を支え、寄り添いパフォーマンスの向上をサポートする、ケガの予防やリハビリ時にはトレーニング指導をしながら選手が最高の状態で競技に臨めるよう支援することが仕事である。自身も陸上に打ち込んだ走り高跳びの選手だった。選手時代ケガに悩まされ、その時「スポーツに携わり、支える人になりたいと思った。」高校卒業後はトレーナーになると決め選手を続けながら専門学校へ通い修行にも出ていた。練習を終えたグラウンドでトレーナーに変身する、そんな毎日だった。そんな日々で20 代半ば自分自身の選手としてのパフォーマンスも成熟し最高潮を迎えていた時…ケガを負った。そしてその時に引退を決めた。
現在ではその時を「いいきっかけだった、区切りがついた」と振り返るが、幼いころから打ち込んだ競技でアスリートとして最高の瞬間を目前にその道が絶たれるという、その時 の心境は想像を超える喪失感だっただろう。その苦い経験が現在の阪西トレーナーの“寄り添い支える”というポリシーを作ったように伺い知った。
かつて自身がケガに悩み、トレーナーを志したその思いをぶらすことなく今日も活動し、確実に成果を残している。現在さかにし鍼灸整骨院を開業し医院長を務めていることに加 え、日本陸上競技連盟トレーナー、国体陸上競技・群馬県代表チームトレーナー、全中・陸上競技 群馬県代表チームトレーナーと日本のトップレベルのアスリートを数多く支えている。
「トレーナーは実績がそのまま評価につながる世界なのです。」と聞き難しいなと感じたのは、実績が抱えている選手の結果や満足度だとするならば、その出会いや縁が大きな評価の基準となるのだろう。出会いはトレーナーだけに影響をもたらすものではない、選手こそ本当に身体を理解し寄り添ってくれる治療家との出会いは人生をえる。その点で阪西トレーナーはそんな縁にも恵まれていた。恵まれていたというよりは、自身の行動が縁を手繰り寄せ、その縁が広まっていったのだろう。
高崎にある医院で修行中にたくさんのチャンスをもらったという、その一つがBELLATHLETICS JAPAN との出会いだ。このBELL ATHLETICS JAPAN は棒高跳びのメッカとして日本中からトップ選手が集まってくる。そこでトップアスリートのトレーナーとしての実績を積むことが出来た。現在自身のクリニックに加え数多くの協会のトレーナーを務め多忙を極める中でも、BELL ATHLETICS JAPAN へも出向いているという。つながった縁を大事にするそんな阪西トレーナーの人柄が見える。もう一つがこの登利平AC との縁である。
元々、日吉町で開業したころ、前橋市内の学校を回り陸上の選手のケアをしていた、その当時出会ったのが現在登利平AC の小渕選手だという。現在日本のトップ争いをするまでに成長した小渕選手が、高校時代からの身体を良く知っている阪西トレーナーに登利平AC のトレーナーを依頼したというわけだ。田中きよの選手もまたこのころ出会った 選手の一人だという。トレーナー業はとにかく「経験と信頼」だと話す阪西トレーナー。バイトをしながら現場に出て経験を積んでいた時代がある。「今それを若い世代に押し付けようと思わない、経験を積める環境を整えたい」と語り、そんな中で培った一番の自慢がクリニックのスタッフ達の存在だと言う。さかにし鍼灸整骨院には3 名のトレーナーが在籍し、それぞれ競技の現場に出て活躍している。森本副医院長は野球が専門で県内の名門校でトレーナー活動を行い、戸塚トレーナーは阪西トレーナーと同じく陸上が専門である。現場ではお金で買えない経験が得られるというのが阪西トレーナーの真髄であり、そのため自身の仕事を少しずつ任せられるスタッフに支えられていること、これが阪西トレーナーの一番の誇りである。現在、中体連でのトレーナー業において子供たちの将来を育て、身体のケアの大切さを伝える活動に力を注ぐ、そうしてケガを予防し強い身体のアス リートを育てているのである。そんなさかにし鍼灸整骨院には取材当日もたくさんのアスリートが来院していた。そして、院内のボードにはたくさんの新聞の切り抜きがあった。来院したアスリートが新聞に載ったものをボードに残している、これはすべて今年度のものだというから驚きである。これこそ日々の活動の“実績の証“である。
東京五輪にメディカルスタッフとして帯同し、国民スポーツ大会では群馬県代表陸上チームのトレーナーとして帯同した。阪西トレーナーの活動の幅は国際大会まで広がり、大舞 台での活躍を「選手として成しえなかった夢を治療家としてかなえられた。」と振り返る。最後になりたいトレーナー像は?と問うと…「模索中です。動けなくなるまで選手と共に戦い続けたい。選手の背中を押してあげられる存在でいたいですね。」としながらも「目先の目標といえば、小渕選手の五輪出場をサポートしたいです。」と語ってくれた。アスリートが最高のパフォーマンス生み出す為になくてはならない存在のトレーナー。その責任の重さを知っているからこそ生まれる責任感と、自身の経験からくる共感力「決してコーチングの邪魔はしないよう線引きしています。」という阪西トレーナーの言葉通りの雰囲気に引き寄せられ心身ともにケアを求めて、今日もたくさんのアスリートが阪西トレーナーの周りに集まる。そんな中からまた未来のトップアスリートが生まれるだろう。そうしてまた縁がつながっていく…。
現在ではその時を「いいきっかけだった、区切りがついた」と振り返るが、幼いころから打ち込んだ競技でアスリートとして最高の瞬間を目前にその道が絶たれるという、その時 の心境は想像を超える喪失感だっただろう。その苦い経験が現在の阪西トレーナーの“寄り添い支える”というポリシーを作ったように伺い知った。
かつて自身がケガに悩み、トレーナーを志したその思いをぶらすことなく今日も活動し、確実に成果を残している。現在さかにし鍼灸整骨院を開業し医院長を務めていることに加 え、日本陸上競技連盟トレーナー、国体陸上競技・群馬県代表チームトレーナー、全中・陸上競技 群馬県代表チームトレーナーと日本のトップレベルのアスリートを数多く支えている。
「トレーナーは実績がそのまま評価につながる世界なのです。」と聞き難しいなと感じたのは、実績が抱えている選手の結果や満足度だとするならば、その出会いや縁が大きな評価の基準となるのだろう。出会いはトレーナーだけに影響をもたらすものではない、選手こそ本当に身体を理解し寄り添ってくれる治療家との出会いは人生をえる。その点で阪西トレーナーはそんな縁にも恵まれていた。恵まれていたというよりは、自身の行動が縁を手繰り寄せ、その縁が広まっていったのだろう。
高崎にある医院で修行中にたくさんのチャンスをもらったという、その一つがBELLATHLETICS JAPAN との出会いだ。このBELL ATHLETICS JAPAN は棒高跳びのメッカとして日本中からトップ選手が集まってくる。そこでトップアスリートのトレーナーとしての実績を積むことが出来た。現在自身のクリニックに加え数多くの協会のトレーナーを務め多忙を極める中でも、BELL ATHLETICS JAPAN へも出向いているという。つながった縁を大事にするそんな阪西トレーナーの人柄が見える。もう一つがこの登利平AC との縁である。
元々、日吉町で開業したころ、前橋市内の学校を回り陸上の選手のケアをしていた、その当時出会ったのが現在登利平AC の小渕選手だという。現在日本のトップ争いをするまでに成長した小渕選手が、高校時代からの身体を良く知っている阪西トレーナーに登利平AC のトレーナーを依頼したというわけだ。田中きよの選手もまたこのころ出会った 選手の一人だという。トレーナー業はとにかく「経験と信頼」だと話す阪西トレーナー。バイトをしながら現場に出て経験を積んでいた時代がある。「今それを若い世代に押し付けようと思わない、経験を積める環境を整えたい」と語り、そんな中で培った一番の自慢がクリニックのスタッフ達の存在だと言う。さかにし鍼灸整骨院には3 名のトレーナーが在籍し、それぞれ競技の現場に出て活躍している。森本副医院長は野球が専門で県内の名門校でトレーナー活動を行い、戸塚トレーナーは阪西トレーナーと同じく陸上が専門である。現場ではお金で買えない経験が得られるというのが阪西トレーナーの真髄であり、そのため自身の仕事を少しずつ任せられるスタッフに支えられていること、これが阪西トレーナーの一番の誇りである。現在、中体連でのトレーナー業において子供たちの将来を育て、身体のケアの大切さを伝える活動に力を注ぐ、そうしてケガを予防し強い身体のアス リートを育てているのである。そんなさかにし鍼灸整骨院には取材当日もたくさんのアスリートが来院していた。そして、院内のボードにはたくさんの新聞の切り抜きがあった。来院したアスリートが新聞に載ったものをボードに残している、これはすべて今年度のものだというから驚きである。これこそ日々の活動の“実績の証“である。
東京五輪にメディカルスタッフとして帯同し、国民スポーツ大会では群馬県代表陸上チームのトレーナーとして帯同した。阪西トレーナーの活動の幅は国際大会まで広がり、大舞 台での活躍を「選手として成しえなかった夢を治療家としてかなえられた。」と振り返る。最後になりたいトレーナー像は?と問うと…「模索中です。動けなくなるまで選手と共に戦い続けたい。選手の背中を押してあげられる存在でいたいですね。」としながらも「目先の目標といえば、小渕選手の五輪出場をサポートしたいです。」と語ってくれた。アスリートが最高のパフォーマンス生み出す為になくてはならない存在のトレーナー。その責任の重さを知っているからこそ生まれる責任感と、自身の経験からくる共感力「決してコーチングの邪魔はしないよう線引きしています。」という阪西トレーナーの言葉通りの雰囲気に引き寄せられ心身ともにケアを求めて、今日もたくさんのアスリートが阪西トレーナーの周りに集まる。そんな中からまた未来のトップアスリートが生まれるだろう。そうしてまた縁がつながっていく…。








