2020年01月05日

お知らせ

高橋雄樹 ~この足で刻む軌跡~

恵まれたその体格を武器に100m競技一筋15年の高橋選手。子供のころから背の順は、一番後ろで足も速かった。小学校時代に友人のお父さんに誘われ、地域のスポーツ教室に通うようになった。それが高橋選手と陸上の出会いだ。


中学校から本格的に陸上競技に打ち込み、高校は地元の中之条高等学校に進学した。この高校時代に国体チームのコーチとして中村副社長に出合った。高橋もまた、この出会いで人生が変わった選手の一人だ。陸上を始めた頃から悔しい経験が多く、心無い言葉を掛けられることも数え切れない程あったという。そんな中で中村副社長との出会いはとても印象的で、国体のコーチとして指導を受けた際には「こんなに穏やかで、論理的な指導をしてくれるのか。と当時の心はすごく救われたので、高校3年生の時に、国体4位という結果を出し恩返しできたことがすごく嬉しかった。」と語る。この結果が功を奏し大学はスポーツ推薦で大東文化大学に入学した。しかし大学時代の4年間はいつもケガに悩まされ、思うような結果は残せなかった。それでも大学後の進路を考える時に陸上をやめるという選択肢は頭の中になかった。


高校・大学時代に自分よりいい成績を残した選手が就職を機に競技から離れる…それが信じられなかった。「生まれ育った群馬で競技を続けたい、登利平で陸上を続けたい」藁にもすがる気持ちで中村副社長に連絡したと語る。高橋選手にとって陸上は記録が出るから好き・出ないからやめる。そんな物差しで測るものではない。「自分の人生を懸けて打ち込んできたものなので、最後まで突き詰めたい。すがってでも続けていきたい」そう力を込めて語った。ここまで力強く言い切れるその覚悟と、そのまっすぐな彼の世界に引き込まれていった。


その覚悟と裏腹に、大学以降は様々箇所のケガに悩まされている。ケガをするのは正しい技術が習得できていないからだと練習内容の見直しや、日々のケアにも力を入れる。トレーナーを探し歩きプロにケアをお願いしてコンディションを整える。自分自身の更なる高みを目指す準備は万端だ。そんな中で憧れだった登利平ACの仲間は大きな存在だという。「仲間の結果に刺激を受けることはもちろんだが、長年競技に打ち込んだ今、なかなか同じ種目の選手からはいいところを見つけてもそれぞれ完成された形のため吸収しづらい、しかし他競技の選手からはハッとする刺激を受け参考にすることが出来る。」個人競技でありながら登利平ACの仲間の存在と職場の支えは大きな存在だ。この日もグラウンドには登利平ACの久保田選手の姿があり、それぞれ練習しながらお互いに声を掛け合う姿があった。二人には自然に笑みがこぼれ関係の良さを伺い知ることが出来た。 高橋選手は、午前中陸上のトレーニングに励み午後に吾妻の店舗で勤務にあたる。現場の調理製造から事務仕事もこなしオールラウンダーとして貢献している。仕事と両立して、毎日の生活に練習時間が確保できる、そんな職場環境は社会人アスリートにとって一番ありがたいものである。社会人経験も積み、環境のありがたみを実感するからこそ、陸上への思いも熱くなる。支援してくれる環境に結果で恩返しできない現状に心苦しさも感じる。だからこそ、恩返しできるその時まで、年齢も不格好さも関係なく走り続ける。「スパイクを脱ぐその日までにこの足で何かを残したい。その結果が誰かの目に触れその先に何かが広がっていってほしい」と語りその思いは続いて「死ぬときに忘れられるような人になりたくない。何かを残せるのは今の自分にとってはこの足での走りです」と力強く語る。


陸上選手である以上目指すのは9秒台、そしてその背中に日の丸を背負うことを夢見ている。“夢をもつことに遠慮してはいけない”という言葉に感銘を受け大きな夢を抱くことで、それをモチベーションにしている。今生きる理由が陸上だというほど競技一筋の高橋選手。今後の人生プランについても聞いてみたが、「今をやりきらないと次は始まらない」と今この瞬間、陸上選手であることへのプライドが滲んでいた。順風満帆ではなかった競技人生、そこから生まれた精神力が今は武器となっている。陸上が与えてくれた出会いと環境に感謝し高橋選手はスパイクを脱ぐ日まで、自身のすべてをかけ生きた証をその足で刻み続ける。